X-Pro3を買ったけど、優秀すぎて選択肢が多いからどうして良いかわからなくなってしまった
ある日Twitterで目にしたとある写真家さんのツイートだ。
せっかく持ってるのにどうして良いかわからなくなるなんて…!難しいこと考えずに好きになって…!!!
という思いから私がX-Pro3を愛してやまない理由を認めたいと思う。
X-Pro3が好き。に理由はいらない
製品発表当初、物議を醸したX-Pro3。背面液晶を隠し、進化を続けるデジタルカメラのコンセプトに逆行するかたちで開発されたX-Pro3は「カメラやってる人の3割にさされば良い、どうしてもやりたかった」と開発陣が発言してしまうくらい、これまでフィルムカメラが一般的だった時代に、どうにかフィルムを消費してもらうために写真文化をより簡単に、より気軽に楽しんでもらうためのカメラを発売し続けてきた富士フイルムが令和の時代に「写真を撮ること」を真剣に考えてできたカメラなんだと思う。
もちろん、スペックも優秀で(私はスペック解説は苦手だけれども)他のXシリーズにも見劣りはしないほどに機能は備わっているもののX-Pro3の魅力はそこではなく「X-Pro3で写真を撮っている自分」「X-Pro3で被写体に向き合う自分」というステータスバブのかかり方の異常さが最大の魅力なのではないだろうか。
X-Pro3を好きになる理由はいらない。自分の撮影スタイルに向いていると思えたらあとはただ好きになっていくだけだ。
X-Pro3好きの私が譲れない撮影スタイル
私は最近、富士フイルムビジネスイノベーションのグリーンエルクスというラグビーチームのカメラマンをやらせてもらっている。
X- H2sの登場まで富士フイルムのデジカメはスポーツ撮影などには向いていない。という風評があったとかなかったとか。
確かに他社製のカメラを使用してる人からは「フジのカメラはシャッターの切れるタイミングが思っているよりワンテンポ遅い」とか、ラグビー部のカメラマンやってます!というと報道カメラマンさんが訝しげな顔で「連写何コマですか?」とか「撮れてます…?」と言われたことがある。
ここでよく考えて欲しい。
デジタルカメラがまだなかった時代、当時のカメラマンさんたちはフィルムで報道やグラビアの撮影をしていたことを。
やってやれないことはないはずだから、できるorできないじゃなく、やるorやらないの問題だと私は思っている。連写機能やAF、追従の強いカメラで撮れば撮れ高はあるかもしれない。
けれど楽できる環境に甘んじて撮った写真と、ヒリつく条件下で撮った写真、アウトプットしたときの写真家としての満足度の高さは圧倒的に後者な気がする。
そんなに普段ヒリつきながら写真を撮ってる訳ではないし、ここぞというときはモニター開いて確認することはあるけれど制限下で工夫する楽しさがX-Pro3にはある。
ラグビーの撮影をしていても私はカメラに搭載されている連写機能は使っておらず手動連写(コマ撮りっぽい感じでは撮るけど)でピントもコンテニュアンス+ピーキングで微調整しながら撮影している。
ことスポーツ撮影やポートレートに関してはピントの合ったドンズバ写真はカッコいいと思うし、Leicaのカメラの描写が綺麗というのもわかるし、SONYの簡単に綺麗に撮れるとか、他社の魅力は理解しているつもりではある。
だけれども私の撮影スタイルのこだわりは「撮影現場の匂いとか温度感を切り取ること」なので原則ノーレタッチ・ノートリミング(ラグビーの撮影に関してはレベル補正はすることあるんだけど)でピントがややずれていてもその瞬間のありのままを記録する(厳密にいうと富士フイルム製カメラは記録色より記憶色といってありのままの撮影データ化ではなくヒトが見たときに心地よいような色彩設計がされているんだけれども)、見る人が好きと思える写真を撮りたい。その上でスペックが優秀なX-Pro3を重用する機会が多い。
手間がかかるからこそ試行錯誤させてくれて工夫を誘導してくれるX-Pro3が私は大好きでたまらない。
なんで?って言わないで
単純な話、ラグビーの撮影に関しては私の手持ちのXシリーズの中で一番スペックが高いのでX-Pro3にXF150-600mmF5.6-8 R LM OIS WRをつけて撮影している。
「レンジファインダータイプって望遠向きじゃないよね…?」と聞かれても「手持ち機材の中でこの子が一番スペック高いんですよねー!」と元気よく答えている。
レンジファインダー×望遠の撮影は一般的ではないかもしれないけれど、無理だって誰が決めたんだろう。やってやれないことはないはずなんだ。試行錯誤した上で制限化で写真を撮れることの醍醐味はAIにも奪われない素敵な体験だと思う。
この「写真を撮ることへの楽しさ」や貪欲さを求める人にはX-Pro3はうってつけのカメラで、2023現在ディスコン情報などもあって注目度が高まっているとかいないとか。
限界まで突き詰めたとき、そんな二者択一をつけつけてくるようなカメラがX-Pro3だと思う。
気軽に記録したいカメラも大事だ。でもアーティストとしてこだわりを追求したいひとに寄り添えるカメラも大事だと思う。
X- Pro3の魅力はスペック的に優秀というより、不都合がある部分を愛して自分のものにしていく過程を楽しめるからこそ生まれるものなのではないかなと私は考えている。
写真が簡単に撮れるようになったのはスマホの登場に大きく起因するけれど、写真を誰でも簡単に、身近に記録するという概念をつくったのはフィルムを使ってもらうがためにFUJIFILMが悪戦苦闘してきた歴史が生んだ産物なのではないかと思うと私はますますFUJIFILMを好きになる。
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