呪文を唱えてAIがハイクオリティなイラスト生成ができる時代がやってきた。AIすごいなって思ったり、AIに仕事を奪われるみたいな話を聴く度に「写真を撮ること」はヒトしかできない魅力があるなって思ったよ。ってそんなお話を少々。

写真を撮ることとは

っていうとなんかだいそれた物言いに聞こえるかもしれないけど私にとっての「写真を撮ること」は記憶を残すことだと思うんだよね。

SNSが普及してたくさんの人に見てもらえる時代になって、いいねがつくのが嬉しい。それ自体は良いことなんだけど「自分が良いなって思った瞬間を切り取ったものに共感してもらえたら嬉しい」だから「共感してもらえるような写真を撮りたい」というフェーズから「褒めてもらいたくて撮る写真」というのも増えたような気がする。

どっちも写真を撮りたくなることには違いないから、どっちかが間違ってるって話ではなく、「写真を撮りたくなること」を「写欲」っていう人たちが少なからずいて、どんな方向性であっても「欲」があって写真を撮るってロジックが成り立つなら「写真を撮ること」はヒトにしかできないことなんじゃないのかなって思っていたい。

季節を感じる写真

私自身は「なんか良いな」って思ったらとりあえずシャッターを切ってるってだけなので、撮れた写真に対して構図がどうこうとか、補正設定をああしてこうして…みたいなことはほとんど考えていないので、私なんかが偉そうに写真を語るのもどうかと思うことがよくある。

ただ、写真を撮る人も撮らない人もその写真を見たときにその季節特有の匂いや空気や温度を感じたり、なにか思うことがある写真が撮れてば良いなと最近は思えるようになった。

ということは、AIは季節を感じることができるのか

データとして季節の様相を蓄積し、予測し、その集積結果からアウトプットを行う。AIが独立して写真を撮ることになったとき、撮られた写真はこうしたフローで撮られるんじゃないかと思う。

現状AIが写真に関われる領域ってレタッチや合成精度の部分にしかなくて、ドローン撮影もレコーダーが回ってるだけだと写真を撮ってることにはならないと思うし、遠隔で人が操作していたらそれは操作してた人が撮った写真になるとは言い切れないとは思うけどそこに撮る人の「思い」は乗っかっていてほしい。

独立起動型ロボットがこれから発達していって、温感センサーなんかが取り付けられて、搭載されたAIに物理的に上手と思わせる写真を撮らせることはできるようになるかもしれないけれど、データとして生成した写真にAIは思い入れを持ったり懐かしんだりすることができるようになるのかというと難しい気がしていて、さらには自己学習型AIもかしこすぎるために人特有の「おぼろげ」だったり「思い出補正」のかかる写真をわざわざ撮影して後世に残すことは難しい。

だからこそたくさん写真を撮ろう

もちろん、「写真を撮ること」に創意工夫をすることを難しく考える人もいるだろうし、それぞれの立場があるからそれが悪い訳でもない。

でも難しく考えていることが正義な訳でもないと思うので、もっと気楽に、適当に、写真を撮る楽しみを満喫しても良い。

写真機が発展して、発展しすぎてスマホでもカメラでも一瞬を逃さないように連写性能もあがってきたけれど、私は連写なんかしないでうっかり撮れなかった経験を積んだ方が良いと思う。というかその方が人じゃないと撮れない一瞬を残せるような気がしている。

その一瞬を逃してしまったがために、次こそは逃さないように、一枚一枚を大切に撮る。

大切にシャッターを切った写真は自分の糧にもなる。なんだったら見てくれた人にもなにかが伝わっているような気持ちにもなれる。

最近若者たちの間でフィルムカメラやオールドデジカメなんてものが流行っていて、何が撮れたからわからないワクワク感や鮮明でなさすぎない思い出補正のかけやすい荒め画質の写真が注目されていることはとても嬉しい。

今時の若者の方がよっぽど一枚一応思いをこめてシャッターを切っているような気がして、AIには奪われない、人ならではの写真の楽しみ方を満喫してくれているような気がして、そういう感性を持つことの大切さを伝えていける写真家になっていきたいなと思えるようになったのは私にしてもとても良い気づきだと思う。