X-T30を手にしてから、最初に撮ったのは何かの用事で赴いた国際展示場の駅前広場にあるチューリップだった。なにかと”映える”ものを探してとりあえず撮ったんだろう。

チューリップ
X-T30 XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS

この頃はF値も絞りもカメラにお任せで、カメラ任せだってなんとなくいい感じに仕上げてくれるからとにかくX-T30に慣れるためにどこに行くにもなるべく持ち歩こうと思っていた。そこから1年半、カメラを複数台毎日持ち歩くのが当たり前の毎日がやってくる。なにかの使命感にかられた様に、ちょっとコンビニまでだってカメラをぶら下げるような毎日がやってくる。

富士フィルムのカメラを手にする前から、思い起こせば学生時代は名ばかりではあるけれど写真部員で、父からもらったMamiya ZE-2 QUARTZと写ルンですやトイカメラをいつも持ち歩いて何かしらを撮っていた。

学生当時、カメラを持って映っていた写真が1枚だけ残っていて、この写真から知人がMamiya ZE-2 QUARTZでは?と特定してくれた。

大学に入った頃にはガラケーにカメラがついて、スマホが登場して、社会人になって25歳で上京する頃にはそもそも知り合いのいない東京に越してきたので”カメラ”で写真を撮る機会がめっきり減って、トイカメラでの撮影もインスタにとって代わられたが簡単に撮れるからかすぐに飽きてスマホでスナップを撮るくらいになっていた。

部員のいない写真部に所属して自分の好きなものを好き勝手に撮ることに慣れすぎていて”写真を見てもらう”という発想がないままいろんなものを撮ってきた。それくらいスナップや写真というものが身近なものだったから、富士フィルムのカメラに出会うまでもいわゆる”カメクラ”という人たちとの交流もあったのだけれど、どこのコミュニティにもうまく馴染めず、みんなが盛り上がっている話の内容に興味も持てず、カメラは一人遊びの延長として楽しむ程度のものになっていた。

「俺の写真は加工なしの撮って出しでトリミングもしてないよ!」といわれても、「写真ってそういうものなんじゃないの?」返したり、「古いカメラってよく知らないけどカッコイイよね!」と興味を持って話かけても「わかる人達がはまってるだけだから普通の人はわからなくても大丈夫だよ」といわれてしまって話が噛み合わないことも多かった。
ぼっち写真部が長かったせいか他の人が撮った写真にそれほど興味を持つことがなかったのも原因のひとつだと、今だと思う。

そんなこんなが続いて少しカメラに距離を感じていたものの、SNS用の写真撮影の仕事がやってきてそれまで敬遠していたデジカメを手にして、撮った写真が褒めらるようになって、ちゃんと写真とカメラに向き合ってみようと富士フィルムのカメラを手にして、富士フィルムのモノづくりや理念、そこで働いている人たちの話を聴いて、富士フィルムに恋をした。

富士フィルムに恋をして、自分が好きだった写真やカメラとの向き合い方が、それで良かったことに気づかされた。

X-T30を手にして、Pro 3に出会うまで緩やかな道のりで自分が好きだったものを思い出して、自分が好きなもののことを他の人にも伝えるのが好きだということも思い出せたので15年ぶりにブログを開設することにした。

文章を書くのも好きだった。好きで得意だったからそれが仕事になって、読み手のことを考えた文章を書くのに慣れてしまって、せっかく写真を撮りためたんだからいつかはブログを…を思ったもののどういった構成にすればいいかとあれこれ悩んでずっと1年くらい開設しっぱなしになっていたブログをようやく書き始めることができたのは記憶カメラさんのおかげでもある。

富士フィルムのことならいくらでもつぶやけそう!と始めたTwitterのカメラ垢で記憶カメラさんのブログを読み、カメラor写真関係のブログだから作例をどう見せよう?とかとはいえガジェット的なカメラの説明ができるほどの知識もないし…と頭でっかちになっていた私に、徒然なるままを綴ってみるでもいいかと思い切らせてくれた。

X-T30を手にしてからオールドレンズやシネレンズ、いろんな寄り道を経て富士フィルムのコレクションを始めるこにになる。まずはそんな道のりを、これまでに集めたフジ以外のレンズやカメラのことにも触れつつ、私と写真のことを書いていこうと思う。